俳句は楽し―吟行記 

 「風叙音」 誌上に掲載中!   ■上野・根岸

                    ■葛飾柴又

                    ■戸定が丘歴史公園                                      

  21世紀の森と広場 (風叙音句会)

                                           
■今日は昭和の日。昨日までの雨模様が嘘のような快晴。初夏を思わせる気候となった。昭和の日はやはり天気の特異日なのだ。

■午前10時。武蔵野線の新八柱駅で、東京方面からの清信さん、埼玉方面からのキヨ子さん、風さん、詠子さんと合流。改札口には、なにゆえかキャリーバッグを持った若者の姿が目立つ。

          *                *                *

■新八柱駅からさくら通り沿いに吟行の目的地の公園に向かう。この通りは、新京成線の八柱駅から常盤平駅までの大島桜、常盤平駅から五香駅までの染井吉野と実に3.1㎞にわたり、半円形を描く桜並木のトンネルだ。桜の季節を過ぎ、もうじき葉桜になるのであろうか。木々の間からの光がまぶしい。

          *                *                *

■しばらく進むと、「日本の道百選」の道標があった。われわれは、おしゃべりに興じながらのんびり歩いているが、キャリーバッグの少女たちがどんどん追い越していく。旅行からの帰りなのか、彼女たちはどこへそんなに急いでいくのだろう。

                    

       若葉光百選の道会話増し キヨ子                 

     

                            少女らの逞しき脚夏来る 七波 

      

   いざ「森と広場」へ

■予定の時刻より少し早く集合場所の公園中央口に到着した。今日の吟行の目的地は、千葉県松戸市の「21世紀の森と広場」。ここは、もともとオオタカの飛来する谷津田であった千駄堀の自然を守るために、平成5年の奇しくも今日と同じ429日にオープンした公園である。東京ドームの11個分(50.5㌶)の広さがあるという。

                          

■中央口には、今日の吟行をアレンジしてくれた美智さん、プロカメラマンの和子さん、いつも奥ゆかしい三恵さんの姿があった。美智さんの隣には紳士然とした男性がいる。ご主人であった。日蔭からいつも愉快な芳子さんと日差子さんも現れた。あと1人、世界中を歩き回っている風香さんの姿がない。と思っていると、時刻どおりにどこからか風のように現れた。皆、旅行慣れしたフットワークのよい人たちばかりだ。それにしても、今日は夏の入りを思わせるほどむし暑い。

                               

吟行に俳人気取る夏の入り 清信                                   

                        

          *                *                *

■公園の内外に野鳥の姿があり、どこからともなく鶯の声が聞こえてきて、一同和やかになる。

                                 

     木洩れ日にウグイスの声昭和の日 詠子

                                        

                          うぐひすの声してほんわり頬ゆるむ  

 

■入口からのプロムナードには、紫華鬘や浦島草などの草花が連なって咲いていた。皆、花の名前を教え合っている。

              

片蔭に花の名問ひし教へらる キヨ子                

                        

          *                *                *

■光と風の広場は、あいにく放射能の除染中ということで閉鎖されていた。安孫子・柏・流山・松戸がホットスポットの地であることを失念していた。その中の柵越しに見えるモニュメントの平和の像の少女も、ことのほか物悲しく思えてくる。

                       

                           春陽あび汚染地に立つ少女像 三恵

                

          *                *                *

■光と風の広場を周回する散策路を進むことにした。木々の鬱蒼とした散策路のいたるところに「マムシ注意」の看板が立てられている。薄暗い木(こ)の暗(くれ)を粉蝶(しろちょう)がすり抜けたかと思った瞬間、太陽を浴びて輝いた。

                   

木の暗をすりぬけて蝶ひかりけり 七波      

                    

木もれ日や粋な春帽杖を曳く 三恵 

                 

          *                *                *

■散策路の沿道には青木が自生し、また花水木が連なり、あたかも広場と散策路を隔てているかのようであった。「青木の花を見たことがあるか」「日本の青木をロンドンに持って行ったが育たなかった」そんな話が飛び交い、和気藹々(あいあい)と歩を進める。青木には、雄花と雌花があった。

              

     はなみづき自由の女神天を指す 風香

                                           

                          花水木森を分けたり白き帯 芳子

                            

          *                *                *

■そうこうすると、湧水があり、小川があり、せせらぎがあった。ここは湧水で有名なところでもあるらしい。そこは、オランダガラシクレソン)の群生地である。白い十字状の花のクレソンは、清らかな水辺でないと育たないという。

                   

クレソンや清流水を飲む如し 芳子           

               

初めての挨拶するやクレソン花 

                

せせらぎの水の落差や柳絮とぶ 日差子

         

堰落ちし水新緑を分け入りぬ 美智 

                          

          *                *                *

■木もれ陽の森に通じる道のあたりに楓の並木が続く。「もみじの花が咲いているが、何と詠めばよいか」でまた盛り上がる。「もみぢ咲く」「楓の花」「花楓」などであろうか

              

            句を拾ふ楓若葉の木洩れ日に 日差子

             

                          もみぢ咲くやけに少女の皓歯かな 七波 

                                      

          *                *                *

■千駄堀池は湧水量が1日約1000tもある雄大な池であるという。池の中央には水鳥等が営巣できる島が作られ、北側は人の立ち入りが制限されていた。また南側には、霧の噴水が毎日1時間に1回ずつ水面を覆い、幻想的な風景が楽しめた。

                      

昭和の日幼子はだか水しぶき 風香         

   

笑みの和を広げて親子水遊び 

                

          *                *                *

■池の周りには、夥しい数のアニメのキャラクターのコスプレ姿の若者たちが仲間ごとに集結し、写真を撮り合っている。彼女たちはキャリーバッグに衣装を入れて現れ、近くの森のホールや木陰で着替えをしているらしい。新八柱駅にいたのは彼女たちの一群であった。そうこうしているうちに、風香さんが彼女たちと一緒に写真に納まっていた。

              

 by kara         夏近しアニメも集ふ森広場 和子

    

                             コスプレで薫風に乗り我忘れ 風香

                                                                              

                                                                   囀りや異文化まとひ若者ら キヨ子

                        

          *                *                *

■千駄堀池の北西側に自然生態園があった。その中に建っている自然観察舎には、望遠鏡が備え付けられていて、自然生態園の自然や千駄堀池などに集まる野鳥を観察できるようになっていた。

                 

白鷺の点景となる水際かな 美智                    

                    

残る鴨池の真中を泳ぎをり 美智 

               

          *                *                *

■また、池の北側にある野草園は、草原・湿地・水辺などの変化に富んだ自然がまとまって見られる所で、狐の牡丹、むらさき苔、春紫苑など、さまざまな野草の花が咲き、水辺の生き物や野鳥など自然観察ができた。

                    

行く春に野草の花や咲き競ふ 清信          

                

春紫苑水の在り処を風に訊く 七波

                   

春の雲映し泥沼寂かなり 三恵

                 

吹かるるを待つ蒲公英の綿毛かな 日差子     

                    

ふんはりと蒲公英の絮別れゆく 詠子

              

水草の白き花咲き蝌蚪遊ぶ 美智

              

蝌蚪捕りし父子の攩網(あみ)の揺れにけり 七波

        

蟻の列過ぎるを待ちし母子かな 七波

                  

          *                *                *

■あまりのじとっとした暑さに、清信さんが缶ビールを2本買ってきてくれた。公園の中央にパークセンターがあり、その前に日時計があった。集合は12時。昼食は隣のカフェテリア・プレリュードの2階の個室に。食事とスイーツを楽しみながら、吟行句の出来具合を話し合う。その際、清信さんと私がやけに日焼けをしていると、つっこまれたことはもちろんである。

                   

      日時計や香るパンジー風に乗り 和子

                                               

                           吟行の渇きうるほす缶ビール 七波

                        

          *                *                *

■昼食をゆっくりとったあとは、各自、思い思いの場所へと移動。つどいの広場には、藤棚があり、毎年同じ季節に花を咲かせる。その先には楓の森や橡の森もあった。

                           

姉と見し藤の花をとさがしみる 風香         

 

春の空千手のごとき欅かな 詠子

 

橡の花蒼天(そら)に楔を打ち込めり 七波

               

          *                *                *

■公園の中央に鎮座するシンボルの桂の森の樹下にも、風を感じられるようになってきた。気がつけば池には霧が立ち込め、幻想的な雰囲気を醸し出している。風は若葉の香りを運んでくる。森にやどる万物の生命が感じられてくる。もうすっかり夏の風である。

                  

           森の香を息柔らかにすひ込めり 芳子

                                       

                          湧水の森万物の生命抱く 美智

                                      

                          オカリナの音色爽やか昭和の日 和子

                                           

                           雲一つわだかまりなく風薫る 七波    

                                                                                                       

                                                 (笙鼓七波)

         

  京都・大津吟行記 (榛句会)

                   

■榛句会では、年2回、春と秋に恒例の吟行を行っている。前回の“吉野の桜”に続き、今回は“京の紅葉”である。参加者は、関西在住の弘一さん、白汀さんをはじめ、明石の母親宅に前泊した信夫さん、飛行機で駆けつけた玲子さん、関東から麦嶺さん・みどりさん夫妻、通雄さん、そして私の8名である。

       

        

        

  三尾の紅葉

                                     

■11月27日、京都駅の観光バス・チケットセンターに午前9時の集合となった。駅前から紅葉狩り京阪観光バスで、周山街道を三尾に向かう。「三尾」とは、清滝川に沿った高尾(高雄)・槙尾(まきのお)・栂尾(とがのお)の総称で、京洛随一の紅葉の名所として知られている。1892(明治25年)1111日には正岡子規も三尾を訪れている。その折の句に、「川一つ処々の紅葉かな」がある。

                                             


           

■京都を出発して50分ほどで栂尾に到着した。この辺りは北山杉の里であり、川端康成の小説『古都』やデューク・エイセスの『女ひとり』の歌詞(永六輔作詞)でも知られている。「京都 栂尾 高山寺/恋に疲れた女がひとり/大島つむぎにつづれの帯が/影を落とした石だたみ/京都 栂尾 高山寺/恋に疲れた女がひとり」。栂尾への周山街道は、紅葉の真っただ中にあった。

                                      

栂尾の路錦秋となりにけり 白汀                                          

              

■高山寺の開創は古く、774年に光仁天皇の勅願によって神願寺都賀尾坊と称された。号は栂尾山。その後、1206年に明恵(みょうえ)上人が再興、後鳥羽上皇の勅額「日出先照高山之寺」により高山寺と改称した。世界文化遺産に登録され、国宝や重要文化財は1万点余という。表参道に敷かれた菱形の大きな石畳に紅葉が映えている。

                            

                  はらはらと紅葉時雨や石畳 信夫      

           

■表参道の脇に、水原秋櫻子の句碑があった。「ひぐらしやここにいませし茶の聖」。そう、高山寺には日本最古の茶園があるのだ。臨済宗の開祖栄西が宋から茶の種を持ち帰り、それを明恵上人が栂尾に植えたといわれている。

                                     

温もりを少し貰ひて御茶の花 七波                          

            

■表参道を上りきると、仁和寺から移築された金堂があり、本尊の釈迦如来像を安置している。金堂から裏参道に回ると仏足石があった。釈迦の足跡を印刻した石で、釈迦を慕う明恵上人が造らせたものである。

                           

                        刻浅き仏足石に紅葉散る 麦嶺

             

■国宝の石水院には、鳥羽僧正作といわれる「鳥獣人物戯画」や運慶作と(あるいは湛慶作とも)いわれる「木彫狗児(くじ)」などが所蔵されていた。鳥獣人物戯画は、漫画の元祖でもあるか。また、「狗児」は、明恵上人が手元に置き、いつもかわいがっていたと伝えられている。高さ23cm、彩色の寄木造りで玉眼。志賀直哉が、座右において愛玩したいといったとか

                                     

小春日や鳥獣虫魚跳ねてをり 七波                       

               

栂尾の冬日届きし狗児の像 みどり

             

冬ぬくし眼鋭き狗児の像 麦嶺

             

■三尾はすべて紅葉の山である。高山寺から昼食の会場「もみぢ家」に向かう。思いのほかの豪華な昼食に、ビールを追加注文して、少しほろ酔い気分に。

                             

           悠久の色蘇る紅葉山 信夫

          

                                                   もみぢ家のあたり最も紅葉づれる 弘一

               

■ここから、歩いて神護寺に向かう。清滝川添いに歩を進めると、丹塗りの高雄橋が架かり、その袂には「俳句手帖」を持った人も見受けられる。そこから神護寺の楼門まで延々と石段が続く。

                                      

冬温し神護寺四百段登る 信夫                                                 

                        

■神護寺は、高雄山と号し、高野山真言宗の寺で密教美術の宝庫として知られる古刹である。和気清麻呂が建立した高雄山寺を前身とし、国宝16点、重要文化財2372点を数える。日本の二大仏教の開祖である最澄と空海が招かれ、平安仏教の発祥地となった寺である。金堂のほか五大堂、毘沙門堂、大師堂など、みな紅葉の中に静かに佇んでいる。

                             

           神護寺に登りつめれば紅葉降り 通雄

           

■境内西端の地蔵院前に、高雄名物として有名な厄落としの「土器(かわらけ)投げ」のポイントがある。皆こぞって土器を求め、想い想いの投球ポーズで投げてみるが、イメージしたようには飛んでくれない。清滝川に深く落ち込む谷あいは、紅葉の海となっていた。

                              

ひかりつつ飛ぶかはらけや黄葉季 みどり                    

            

土器の礫となりぬ溪紅葉 麦嶺

           

土器の舞うてくれぬ日小六月 玲子

           

かはらけのふにやらふにやらと冬日和 弘一

          

かはらけの消ゆるあたりや冬紅葉 七波

            

■高雄山から下り、清滝川のせせらぎを聴きながら辿ってゆくと、風に乗って乾いた鐘の音がかすかに聞こえてくる。その音に誘われてゆくと、それは西明寺の梵鐘の音であった。西明寺に入るには、朱塗りの指月橋を渡らなければならない。そこはまた、紅葉の撮影スポットでもあった。

                                 

                          清滝を辿り歩めば紅葉風 通雄         

            

■西明寺は槙尾山と号する古義真言宗の名刹である。弘法大師の弟子智泉大徳が神護寺の別院として創建したことに始まるという。本堂の前には樹齢600年を超える槙があった。本堂には運慶による釈迦如来像が、脇陣には千手観世音菩薩像や愛染明王像が安置され、本堂横には鐘楼があった。本堂にお参りした人は鐘を撞くことができるとあり、早速、鐘を撞いてみることに。鐘の音は、三尾の里の紅葉山に、その先の北山杉の山々へと響いてゆく。

                    

北山の杉真つ直ぐに冬ざるゝ 七波                         

       

       

  洛北の紅葉

               

西明寺を後にして、周山街道をさらに北へ常照皇寺に向かう。常照皇寺は、旧北桑田郡京北町にある。周山から右に折れ、山国街道を入ったところに目ざす常照皇寺があった。光厳(こうごん)法皇によって1362年に開かれ、歴代天皇の帰依を得た皇室ゆかりの寺である。臨済宗天竜寺派に属し、正式名は大雄名山万寿常照皇寺。天然記念物の九重桜をはじめ、左近の桜、御車返しの桜など桜の名所として有名で、観桜期には大変な賑わいをみせるという。桜は、1333年に光厳天皇がこの山里に入り、手植えしたのが最初と伝えられる。山門からなだらかな石段が続く。苔むした参道には落ち葉が蔽い、いつしか風が吹き寄せて魂が洗われるようである。 

                                    

             皇寺とて冬日あまねき檜皮葺 麦嶺 

                                 

                                                 参道の風とらへをり夕紅葉 みどり

           

                                                 冬を愛す魂の透けゆく京なれば 七波

              

ここまで京を北に上ると、さすがに紅葉には少し遅かったようだ。庫裡から方丈、開山堂の怡雲庵(いうんあん)の中へ。方丈には釈迦如来が鴨居の高さに祀られ、怡雲庵には、頭上に十六羅漢像が、眼下には、阿弥陀如来とその右に招き観音が鎮座していた。禅定池には、なにやらぶくぶくと気泡が上がる。

                               

小春とは観音様の御招き手 七波                        

           

杉山へ色を加へる散紅葉 玲子

          

整然と杉の穂立てり冬山家 みどり

           

冬の池泡下に微か蠢けり 七波

         

■京都駅へ戻る車中、老夫婦と白汀さんの会話が弾む。老婦人は品のある京言葉で、白汀さんに対し、関東の人は磊落だといい、自分は京都の錦市場の乾物屋に生まれ、現在は大阪に住んでいると語った。

                           

         寒椿錦に生りし刀自と会ひ 七波

            

■京都駅に着くと、先程の老婦人が機縁となったわけではないであろうが、信夫さんが錦市場へちりめんじゃこを買いに行くこととなり、それでは皆で錦市場へと。市場は人がいっぱいで、肩をぶつからせながら抜けてゆく。そのうち、誰がどの店に立ち寄り、どこを歩いているのか、わからなくなる。

                                  

端正に京都かぶらの積まれけり 弘一       

             

■携帯電話で呼び合って、ようやく皆集合、先斗町を辿って今夜の食事処のある京阪三条へとゆるゆる進む。玲子さんの紹介の店である。「わらべうた」そこは築70年以上の町家で、店内にはジャズが流れ、坪庭には燈籠がライトアップされている。京野菜や地の素材を使ったコース料理で、皆料理に堪能、酒も大いに進む。デザートの柿も絶品だ。

                                   

             賑はひの膳に黄葉をあしらへる 玲子

                       

■今宵の宿は、通雄さんが手配してくれていた。京阪三条から浜大津に出て、駅から電話して迎えに来てもらう。ワゴン車で来るのかと思っていると、リッチモンドの刺繍のある革ジャンが小走りにやってくる。女将であった。宿は駅のすぐ近くにあった。

                                  

出迎へし近江女将や裘 七波                            

          

          

  大津の紅葉

■宿の朝ごはんがうまい。皆おかわりをする。古くから続く宿であるが、気さくな女将であった。私は昨夜パソコンを貸してもらった。女将は、三井寺に行くなら、ぜひ琵琶湖疏水を見ていけという。紅葉に包まれたこの疏水の水が長等山からトンネルになって京都に通じ、蹴上の疏水となり、南禅寺の水路閣を流れ、あるいは哲学の道に、また鴨川や堀川へと結ばれていたことを思うと不思議な気持ちになる。疏水には、鴨が数羽浮かんでいた。        

         門前の紅葉の影の中にかな 玲子       

                                    穏やかな疎水の波や鴨浮くる 麦嶺

■三井寺は、長等山にある天台寺門宗の総本山で、正式には長等山園城寺という。「三井寺」の俗称は、天智、天武、持統の三天皇の産湯に使われた霊泉に由来しているという。境内には金堂をはじめ、三重塔など数々の国宝、重要文化財を擁する。

マフラーを外す三井寺冬日和 信夫                

■建立当時の状況はこうだ。天智天皇により、667年に飛鳥から近江大津に都が移された。672年に天智天皇が亡くなると、翌年、大友皇子(おおとものみこ)(天智天皇の子。1870年〈明治3年〉弘文天皇の称号を追号)と大海人皇子(おおあまのみこ)(天智天皇の弟。後の天武天皇)が皇位継承をめぐって争った壬申の乱が勃発。破れた大友皇子の皇子大友与多王は父の霊を弔うために「田園城邑(じょうゆう)」を寄進して寺を創建、天武天皇から「園城」という勅額を賜ったことから、長等山園城寺と称したのが始まりという。一方、勝利をおさめた大海人皇子は、再び飛鳥に遷都し、近江大津京はわずか5年で廃都となった。歴史の陰翳に、いにしえの大津京に想いを寄せる。          

         逝く秋と共に語りし園城寺 七波             

             

■観音堂の見晴らし台からは、琵琶湖が一望できる。湖面には風を孕んで走る帆舟が。対岸にかすかに見えるのは三上山(近江富士)であろうか。

          

あなたなる内なる海よ比叡颪 七波              

          

湖北より湖南に浮きし鳰 七波

           

■観月舞台から下る石段の両側、そして毘沙門堂のあたりは、ひとしお紅葉が見事であった。カメラマンが多数出ていて、そのうちのひとりが玲子さんをモデルにしたいといって撮影を始めた。

          

                     一山の空に漲る冬紅葉 弘一

             

■金堂の正面左手の蓮池の前に、芭蕉の句碑があった。「三井寺の門たたかばやけふの月」。奥の細道の旅を終えた芭蕉は、1689年(元禄2年)12月から2年間、大津に滞在している。1691年(元禄4年)8月15日、新築の義仲寺・無名庵で月見の会が行われる。会は盛り上がり、風狂は尽くされる。琵琶湖に舟を漕ぎ出し、三井寺の塔頭を望んで中秋の名月を詠んだのが、先の句という。

                

風狂を追へどもつかず冬ざるゝ 七波                    

           

■金堂の南東には近江八景・三井の晩鐘で有名な巨大な梵鐘を吊る鐘楼があった。三井寺の晩鐘は、音色のよいことで知られ、形の平等院、銘の神護寺とともに「音の三井寺」として、日本三銘鐘のひとつに数えられている。近江の人たちが帰路を急ぐ夕暮れ時、琵琶湖を鐘の音が響き渡るのだ。時を経ても、その感慨は変わらない。有料で鐘を撞くことができる。信夫さんが、皆を代表して鐘を撞くこととなった。厳かに、鐘を撞く。荘厳な音色である。

             

                   三井寺に詣れば秋の鐘響き 通雄

          

                                      冬の湖三井の晩鐘渡りけり 七波

             

■三井寺駅から京阪電鉄石山坂本線に乗り約15分で終点の石山寺駅に。ここから、瀬田川添いに10分ほど歩くと、石山寺に到着する。

         

ささなみの名刹巡る秋の暮 通雄                          

          

石山寺は、天然記念物の巨大な硅灰石の岩盤の上に建立されている。寺名の由来である。開基は良弁(ろうべん)。本尊は如意輪観音。東大門の手前に、石山寺に滞在していた芭蕉の句碑があった。「石山や石にたばしる霰かな」。京都の清水寺や奈良の長谷寺と並ぶ、日本でも有数の観音霊場でもある。

           

                           石遊ぶ枯山水や冬日和 白汀

           

■石山寺は島崎藤村が滞在していたことでも知られているが、その昔、『蜻蛉日記』『更級日記』『枕草子』などに登場する。紫式部は石山寺参籠の折に『源氏物語』の着想を得たといわれており、本堂内に『源氏物語』を書いたところと伝えられる源氏の間があった。

                

行く秋の源氏の君を慕ひけり 白汀          

         

■ここでは紫式部開運おみくじが売られていて、源氏の間の横が結び所であった。その先の万両の実の赤と結ばれたおみくじの紫がよく合っていた。

         

               おみくじの連なる先の実万両 玲子

         

■美しい均整美をもった多宝塔に上る石段下の左に、紫式部の供養塔と並んで芭蕉の句碑がある。風化がひどくて全く読めないが、1690(元禄3年)4月の早朝に参詣した折に詠んだ句「あけぼのはまだむらさきにほととぎす」である。芭蕉庵の横に月見亭があった。そのうち、鷲があらわれ、空高く舞い上がった。

         

留紺突き抜けて舞ふ鷲一羽 七波                         

             

■石山寺を後にして、瀬田川沿いに遊歩道を歩く。琵琶湖から流出する川にはレガッタのボートが行き交い、離れ鴨が浮かんでいる。思わず『琵琶湖周航の歌』を口ずさむ。空に鳶が大きく輪を描いた。

             

               石山のはぐれ鴨浮く瀬田の川 白汀

          

                             逝く秋や瀬田の唐橋離れ鴨 七波

      

       

  洛中の紅葉

        

■京阪電鉄・地下鉄東西線を乗り継いで、京都に戻る。蹴上駅で下車して、洛中の紅葉スポット、南禅寺へ向かう。蹴上の疏水が見える。連日、テレビで紅葉中継をしているせいか、このあたりは、かなりの人出である。門前の湯豆腐屋も人がいっぱいで、昼食をとれない。南禅寺では、みな思い思いに散策をすることとなった。私は三門に上り、楼上から紅葉の海を眺めることとした。

          

三門や紅葉の海に浮かぶごと 七波                        

               

■永観堂も同様に人で溢れていた。紅葉は盛りで、その鮮やかさに思わず声を失った。銘々、見納めの紅葉を眺めやることに。

            

            見納めの紅葉おりなす永観堂 白汀  

            

                                紅葉づれることも落葉となることも 弘一

          

                                京ひとり紅葉の虚妄襲ひけり 七波       

        

■人出の多さに圧倒されて、紅葉見物もそこそこに岡崎方面に移動する。仁王門通のホテルで遅い昼食をとり、ビールや日本酒を補給して疲れを癒す。神宮通に折れて、平安殿で和菓子を買ったり、竹細工屋で耳かきを求めたりしながら、京阪三条駅まで散策する。ここで、麦嶺さん・みどりさん夫妻は先に帰路につくことになった。残った面々で、先斗町へ向かうことに。先斗町では時刻がまだ早いためか、大方の店が開いていない。私の気に入りの店も準備中なのだろう、閉まったままだ。四条近くの串かつ屋に入り、地酒で打ち上げとなった。

           

                              先斗町ぽん太に逢へず冬構 七波 

           

■京の町は夕闇に包まれていく。瞼に、胸に焼き付けた今年の紅葉の見納めだ。京の北から本格的な冬は、そこまで来ているようだ。木枯らしが吹き始める。

           

一献に誘はれ京の秋惜しむ 信夫                    

            

人は皆紅葉に聚ひ紅葉散る 七波                   

                                                (笙鼓七波)       

                

         

         

  飛鳥・吉野吟行記 (榛句会)

■関西在住の弘一さん、白汀さんに誘われて、吉野山に吟行することとなった。年2回の榛句会の恒例の吟行会である。昨秋は、甲州から富士山麓に十数名で遊んだが、今回は6名の吟行となった。榛句会は、超結社の句会である。案内役の弘一さんの粋な計らいで、午前中は自由行動、昼に橿原神宮前駅に集合となった。

寒暖定まらぬ4月10日である。私は、朝一番の新幹線で京都に向かったが、滋賀県に入ると菜の花畑が一面に広がった。私の心は琵琶湖に遊んだ。芭蕉の「行く春を近江の人と惜しみける」や森澄雄の「雁の数渡りて空に水尾もなし」に誘引されたわけではないが、一句が口をついた。

菜の花や明るき風を近江まで 七波                        

       

■麦嶺さん、みどりさん夫妻は、前日川西市の実家に泊まって、早朝、桜井駅郊外にある聖林寺に出掛けた。ここには国宝の「十一面観音像」があるが、馬酔木の先師である水原秋櫻子の句碑があることも訪問目的のひとつであるらしい。秋櫻子の句碑は観音堂の前にあった。「木の実降り鵯鳴き天平観世音」

                   

麗かや御手のやさしき観世音 麦嶺                      

     

■一方、玲子さんは、弘一さんを誘って、橿原市の今井町の保存地区に出掛けた。奈良市内の奈良町ではなく今井町を選択するとはなんと心憎いことか。ここには江戸時代の街並みが保存されている。電線が地中に埋没されていて、電柱のない風情ある古い町並みである。

                    

初つばめ格子造りの家にかな 玲子                  

■そして私であるが、桜井駅の北にある大神(おおみわ)神社へ参拝にむかう。ここは桜井から奈良方面へ続く「山の辺の道」にあり、三輪山を御神体とするわが国最古の神社である。三輪山に入りたかったが、時間がなく残念であった。狭井(さい)神社の「薬井戸」で神水をいただき、また昔ながらの伝統和菓子「みむろ」(最中)を食する。

                       

           飲み干せばうまさけ三輪の山笑ふ 七波                                                          

  そして飛鳥へ

     

■昼、橿原神宮前駅に5名が集合、さらに甘樫丘(あまかしのおか)の頂上で地元に在住の白汀さんと合流する。初めて会う白汀さんは、茶道の師範格と聞いていたが、またその俳風とは違って饒舌で、想像とは異なる体躯であった。とはいえ、うららかな春日である。甘樫丘は、蘇我蝦夷と入鹿親子が権威を示すために邸宅を構えたところであり、展望台からは大和三山(畝傍山、耳成山、香具山)、藤原京跡が手に取るように一望できた。また、山腹には志貴皇子の歌碑「采女の袖吹きかへす明日香風京を遠みいたずらに吹く」(万葉集1-51があった。

                               

                 花散るや大和三山風の城 七波

     

                                                      うららかや大和三山たけくらべ 弘一       

     

■中大兄皇子が「香具山や畝傍ををしと耳梨と相あらそひき神代よりかくにあるらし古昔も然にあれこそうつせみも嬬をあらそふらしき」と詠んだ(万葉集1-13大和三山の向こうには、何やら霞だちて二上山、葛城山等を遠望できる。流鶯のさえずりを聞きながら食べる弁当の味は格別であった。

                        

                 香具山の霞に天女降りさうな 玲子

                                                 

                                                      流鶯の甘樫丘に集ひけり 七波

      

■甘樫丘から眼下に見下ろす飛鳥寺は、蘇我馬子が596に建立した本格的な伽藍配置の日本最古の寺、法興寺の後身である。現在は安居院(あんごいん)と呼ばれている。本尊の「飛鳥大仏」(釈迦如来坐像)は推古天皇が百済からの渡来人の鞍作止利(くらつくりのとり)仏師に造らせた大仏で、見れば顔が面長で、法隆寺金堂の国宝釈迦三尊像によく似ている。住職の話によると、二度の落雷で火災に遭い本堂が消失、大仏も台座は創建当初のものだが、継ぎ接ぎの補修がされたという。見れば境内の一隅に仏の座(三階草)がひっそりと咲いている。

                           

                    花冷や傷痕しるき釈迦如来 麦嶺   

                                                                                      

                                      丈六の慈悲の微笑み仏の座 七波          

     

■蘇我氏の寺である飛鳥寺の西側には、飛鳥板蓋宮(あすかのいたぶきのみや)において天皇の前で暗殺された蘇我入鹿の首塚がある。飛鳥寺まで数百メートルも首が飛んできたといわれている。当時は立派な屋敷があったのであろうが、今はひっそりと田んぼの中である。この「乙巳(いっし)の変」も後の「壬申の乱」もみな飛鳥寺の近くで起きたことであった。先ほどから飛鳥寺の鐘の音が聞こえてくる。

                           

のどけしや飛鳥の鐘の尾を引ける 玲子            

     

■飛鳥寺から山手に移動し、胸突き八丁、急な坂を上り切れば西国三十三寺の第七番札所の岡寺である。岡山の中腹にあり、岡にある寺=岡寺と呼ばれているが、正式には、「東光山真珠院龍蓋寺」であり、日本最初の厄除霊場であった。本堂には、奈良時代に制作された日本最大の塑像の「如意輪観音」が鎮座している。また、岡寺は石楠花の寺としても有名で、3,000もある石楠花が境内のあちこちにもう咲き初(そ)めていた。

                    

あたたかし仏足石に触れをれば 弘一                

     

■通り道沿いの小高い丘の上にある竹やぶに「酒船石」はあり、その北側に、2000年に発見された「亀形石造物・小型石造物」がある。酒船石は、昔、酒を搾るのに使ったとか、薬を調合するのに使ったとか、いろいろな説があるが、まったく謎の石であった。
また、石舞台古墳
は、1933年と35年に発掘がされたが、すでに埋葬品は盗掘にあって、後の祭りであったという。被葬者は蘇我馬子だとも蘇我稲目だとも、諸説ある。石舞台のほかに、地元では石太屋とか石蓋とよばれていたらしい。

                               

          春の雲一朶過ぎゆく石舞台 みどり                                   

■橘寺は、聖徳太子誕生の地に太子自身が創建した寺である。正式名は「仏頭山上宮皇院菩提寺」。橘寺の名は、田道間守(たじまもり)が垂仁天皇の勅命を受けて不老長寿の薬を求め、持ち帰った橘の種を植えたことに由来する。観音堂に藤原時代の作といわれる本尊の「如意輪観世音菩薩像」が安置されている。ふっくらとした穏やかな表情の仏像である。本堂の南側に善悪2つの顔が背中合わせになった飛鳥時代の石造物「二面石」がある。門の外に出ると、どうしたことだろう。京都御所紫宸殿にならってか、右近の橘の隣にひときわ見事な「左近の桜」があるではないか。

                              

橘寺しかと左近の櫻かな 七波                      

     

■民家の庭に「亀石」はあった。横から見ると亀というより蛙に見える。亀石は、以前は北を向き、次に東を向いたという。今は南西を向いているが、西を向き当麻のほうを睨みつけると、大和盆地一帯は、海に化すと伝えられている。

                          

亀の鳴く伝への多し飛鳥村 弘一                          

     

■地元白汀さんの提案で、明日香村唯一の酒造である脇本酒造に利き酒に立ち寄ることとなった。応対に現れた先代夫人の女将は肌の色艶よろしく、とても米寿には思えなかった。聞けば飛鳥川の源流水を使っているという。「右近橘」「高松の香」「飛鳥京」などを矢継ぎ早に呑ませてもらう。今夜の酒宴にと、原酒の4合瓶を3本買うことになった。ふと、見上げると、そこに川柳作家のやすみりえ氏の色紙があった。      

                       

霞立つ酒造に刀自の艶のよさ 七波                          

     

■ほろ酔い気分で高松塚古墳へ向かう。午後4時半で壁画館は締まるところであったが、日永とて館長より午後5時まで延長してもらう。

                          

永き日の古墳に遊ぶ雀どち みどり                       

    

■見学後、近鉄飛鳥駅へ向かう。道すがら、雲雀が揚がり、鐘の音が聞こえてくる。その後、今夜の酒宴の会場である万葉ホールの「ほうらんや」へ移動する。

                        

                              飛鳥路の夕づく雲に揚雲雀 みどり

     

                                                         暮なづむ飛鳥の里に鐘霞み 七波

                                               

                                                

  いざ吉野山へ


■4月11日の天気予報は曇りのち雨。朝から暗雲が立ち込め、先が思いやられる。橿原神宮前駅に向かい、雨中で邪魔になる荷物をコインロッカーに預けて特急に乗ったのはよかったが、折りたたみ傘を出さずにリュックサックをコインロッカーに入れてしまっていた。こうなれば、ひたすら雨が降らないことを念ずるのみである。吉野には午前8時半に到着。中千本まで上がると、西行庵のある奥千本までのバスはなんと1時間半待ちという。そこで奥千本に向けて歩き始める。桜を見やりながら登り坂を皆ゆっくり進む。

                                      

                    朝の日に枝さしのべて峰ざくら みどり

     

                                                        吾も花も吉野の山の過客かな 玲子

     

                                                        花盛る桧皮の屋根に触れながら 白汀

     

■吉野山は日本一の桜の名所と知られ、役行者(えんのぎょうじゃ)を開祖とする修験道の聖地である桜は約3万本。標高差があるため下千本、中千本、上千本、奥千本と花期をずらして咲き継ぎ、およそ1か月もの間、山のどこかで花見が楽しめる。中千本から上千本は満開であった。西行庵を目指して進む。興奮度は高まるばかりである。

                                                                   

                    人の声鳥の声して花万朶 麦嶺

     

                                                        一山の花の鎧をまとひけり 白汀

     

                                                        山屏風花の屏風となりにけり 弘一

                                                                                        

                          西行の住処尋ねて花求(と)はむ 七波

     

■水の神様を祀る吉野水分神社、金峯山寺を経由して、さらに山中に分け入り、ようやく西行庵へたどり着いた。ここは西行が俗塵を避け3年間幽居した場所である。近くには、西行が「とくとくと落つる岩間の苔清水汲みほすまでもなきすみかかな」と詠んだ苔清水も残り、また、西行を慕ってここを訪れた芭蕉の句碑が立っている。「露とくとくこころみに浮世すヽがばや 

                   

                  すみれ咲くなぞへ険しき西行庵 麦嶺 

     

                                                        水音も散りゆく花も西行庵 白汀

     

                                                        山桜西行庵を取り囲み 白汀

     

                                                        西行も芭蕉も居りて花さかり 七波

     

                                                        春光や吉野の杉の苔生して 玲子

          

                                                        うぐひすの語尾を直してをりにけり 弘一

     

吉野山の桜に心うばわれた文人は数知れず、多くの名歌、秀句が残されている。後醍醐天皇の第二皇女・祥子内親王の歌に「名にしおふ花の便りに事よせて尋ねやませしみ吉野の山」とあり、また江戸前期の俳人・安原貞室の句に「これはこれはとばかり花の吉野山」とある。また、時代が下っても、幕末から明治初期の国文学者である八田知紀の人口に膾炙する歌「吉野山かすみの奥は知らねども見ゆる限りは桜なりけり」のとおり、吉野の桜はことさら美しいのだ。

                                              

奥千本億千万の花の宴 七波                                  

     

■下りはバスで下ることになった。15 分ほどで中千本に到着。中千本をぶらぶらし、竹林院群芳園を見学する。ここは大和三庭園の一つに数えられ、太閤秀吉の花見の際に千利休が作庭し、細川幽斎が改修したと伝えられる。池には花筏が見られ、池縁の枝垂れ桜がすばらしい。 

                          

                     ひらひらと落花一片蜘蛛の囲に 麦嶺

     

                                                        先頭も尻もわからぬ花筏 弘一

                                                                                          

                                      湧水の花の筏を散らしをり 玲子

                                                 

                                      太閤の花影残心枝垂れをり 七波                                            

               

■中千本で昼食を取ることになった。どの店も上千本を見上げるような構造になっている。吉野山の門前町はどの建物も谷に向かって下りていて、表から見ると1階建てなのに裏から見れば2、3階建てという建築方法になっている。これを「吉野建て」というのだと、白汀さん。全員が名物の柿の葉寿司セットとビールを注文する。下千本へ下りる道沿いには、柿の葉寿司、吉野葛、吉野和紙、桜茶など、さまざまなみやげ物屋が軒を連ねている。蔵王堂に参拝してから下千本の七曲り坂を下り、吉野駅に午後2時半すぎに到着した。

                              

                     陀羅尼助ひさぐ媼も花の中 みどり

     

                                                         花屑を敷きて坂の名七曲り 白汀

     

■近鉄電車で橿原神宮前駅までもどり、橿原考古学博物館を見学。ここで麦嶺さん、みどりさんは先に帰り、残ったもので橿原神宮に参拝し、駅前の居酒屋でさらに一献。 ほろ酔い気分で店を出ると雨が降り始めていた。念が効いたのか、行程中には、幸いと雨に降られることはなかった。吉野山の桜も今頃はもう雨の中であろうか。

              

                     雨脚を細く吉野の花しぐれ 弘一

                                                                              全山を風の渡りて花しぐれ 七波 

                                                (笙鼓七波)